nuiru's blog

2015.8.22川西JC、2015.10.27郡山JCで行われた樋渡啓祐氏の講演会の内容をお伝えするブログです。

川西JC樋渡啓祐講演会 #26 に思ったこと

川西JC樋渡啓祐講演会2015.8.22 #26「質疑応答1:人の気持ちが分からない、鬱病8人、報連相・残業廃止、完成形より修正形」に思ったことです。

樋渡啓祐氏の独り語りが終わり、質疑応答に入ります。

 

ここにも市議会議員

一人目は一般社団法人伊丹青年会議所(伊丹JC)理事長の杉一(すぎはじめ)氏が挙手をしました。この方、本職は伊丹市議会議員です。

 

伊丹市議杉一インターンシップブログ」によると「午前中は国勢調査の実施に関する打ち合わせ、JC関連の打ち合わせに同行しました。」という記述があり、議員とJCの関係は近いのだということが分かりました。

 

伊丹で講演

質問の前に

樋渡啓祐:伊丹で今度僕講演しますよ。

杉一  :あ、南小学校ですね。

樋渡啓祐:そうそうそうそう

杉一  :あの、お伺いさせていただきます。

というやりとりがあります。南小学校での講演というのは現在、伊丹市立南小学校のホームーページのトップに掲載されている「南小学校70周年記念式典」での樋渡啓祐氏の基調講演のことです。

 

好意的な質問なのに

質問者の杉氏は8年前に武雄市役所を視察に訪れた際、「職員が(当時の樋渡市長のやりかたに)ついていけてない」という印象をもったそうです。

それをどう変えていったのかを樋渡氏に質問します。樋渡氏の実績、手腕を認めた上での好意的な質問です。

にもかかわらずこの質疑の樋渡氏のトーンはすこし低めでした。

杉一:(8年前の視察時)職員の方がまだなんかついていけてないのかな、っていう感覚はあったんです。
樋渡啓祐:うん。

この「うん」の声のトーンが、なにかいやなことをつつかれたトーンに聞こえます。「うん、だからなんなんだよ」というようなすこし怖い印象です。

 

樋渡氏についていけず職員が鬱病

質問に対し樋渡氏は回答で「僕は人の気持ちがわからない」とした上で、職員の鬱病の人数を口にします。

人の気持ちがわからないと言いながら、自分の職員への接し方によって鬱病になってしまった人がいたという自覚があるのでしょう。

その証拠に、3年間職員の鬱病患者が減らなかったことから「これは自分に問題がある」と認めています。

その対策が自分と職員との直接のコミュニケーションを止めるという手段だったことからも、樋渡氏の職員に対する態度が原因だったのでしょう。職員の方が鬱病に患うほどストレスに感じたということですから、おそらくは威圧的な態度だったはずです。

それが視察者にも分かるような雰囲気があったというのですから相当なものだったのでしょう。

 

さきほども書いたように好意的な質問で、期待する回答はそういうことではないのですが、そのような回答をするということは、職員に相当きつく当たっていた後ろめたさがあったのかもしれません。

 

樋渡氏は言い訳のように「僕が辞める時、鬱病患者はゼロ」と言葉をつなぎます。

就任時にすでに鬱病の職員がいたのならそれは樋渡氏が原因ではないでしょう。むしろ樋渡氏が市長になり改革を進めたことで仕事にやりがいが出て、8年後には病状が快復したのであれば賞賛されること、大いに自慢できることです。

そのような回答をしなかったということは、やはり樋渡氏の態度が職員の鬱病を誘発していたのです。

 

「就職人気ランキングは行政の中でだんとつ1番」と言いますが、どこの調査かは不明です。というよりも就職前の人気ランキングはこの質問には関係ありません。人気はあるけど入ってみたら職場環境が劣悪だった、それが樋渡氏が市長時代の武雄市役所だったのではないでしょうか。

 

それって修正形?

常々職員さんに言ってたのは、完成形より修正形だって。悪かったらどんどん修正しようぜっていうことをずっと言い続けてました。

3年間、職員の鬱病の数に目をつぶり原因が自分にあることを認めずして、それのどこが修正形なのでしょうか。どこが「どんどん修正」なのでしょうか。

 

例えば鬱病の患者が増えてたとするじゃないですか、で、そこで僕ね、あんまり変わんなかったんですよ。

「変えなかった」って、それのどこが修正形なのでしょうか。

 

だめだったらやり方を180度変えるときもあった

180度変えるということは、これまでと真逆のことをするのですから修正ではありません。やり方が悪かったというのではなく、間違っていたということでしょう。


「今行けばいい」

微妙な回答だったので質問者の杉氏は回答に対するコメントや追加の質問など一切せず、たった一言「ありがとうございました」と言って切り上げます。

樋渡はさらに一言「今行けばいいと思います」と言い放ちます。当時はよほど酷かったのでしょうね。